漆 | 室瀬和美 :::: Urushi | Kazumi Murose, Japan

縄文人と漆

2007/3/20

東京の多摩丘陵で縄文漆器が出土しており、それを見ることが出来るということをご存じでしたか?

実は東村山市で7年程前から都営住宅建設に伴う発掘調査が行われ、沢山の土器・漆器をはじめ、大きな舟までが出土しています。名前は下宅部(しもやかべ)遺跡といって、「トトロの森」の近くに位置します。現在は調査も終了し、埋め戻されて都営住宅が建てられていますが、ごく一部が遺跡公園として現在も残されています。

この地域では、縄文後期から平安・鎌倉時代に至る地層で沢山の遺物が出土していますが、中でも漆器に関わる資料が多く、大変勉強になります。

まず驚いたのは、建造物の土台と思われる杭が何本も発見されていますが、そこに漆の木が使用されていることです。漆は腐らないと言われていますが、漆の幹もやはり腐りにくいのを当時の人々は知っていたのでしょう。さらにその漆の樹には、漆掻きを行った傷とそこからにじみ出して固まった漆液がそのまま残り、見ることができるのです。その傷は太い幹から細い枝まで多種ありますが、どれも15〜18?間隔で水平に一本ずつ樹をひとまわりするように傷が入れられていました。傷はおそらく鋭利な石器で入れられたと考えられます。漆掻き傷を水平に入れる採取方法は、現在も日本だけで、中国や東南アジアはV字に傷を入れています。

日本以外の地域で、3500年も前の漆掻き傷のある漆樹が発見された例がないので、当時の比較はできませんが、少なくとも日本では3500年もの間、漆は変わらない方法で掻き取られていたことになります。

漆の傷の本数が現在より少ないということは、一本の漆樹から採取できる漆液の量が少ないわけで、きっと現状よりはるかに豊富な漆樹が植栽されていた情景を思い浮かべます。他にもその漆液を採取したまま荒味という状態で保存した土器や、それらを精製して漉した状態で保存した土器が確認されるなど、当時の漆液の扱い方や性質を熟知した縄文人の生活を垣間見た気がしました。

また弁柄や水銀朱の顔料を細かく潰すために使った堅い石も発見され、充分にすり潰してから漆と練って、赤色漆を作ったことがわかります。

興味があるのは、その漆を塗る道具なのですが、未だに刷毛も筆も発見されていません。しかし、よくルーペを使って見ると、塗られた朱漆にはわずかに刷毛のかすれが見られます。したがって、何らかの動物の毛を使った刷毛を使用したことがわかりました。さらに細かく肉持ちの良い線で描いた生漆の文様を観察すると、その線を描くためには細く、腰の強い筆がなくては描けないという事実も判明します。この肉持ちが良い漆は、なやし、くろめをしっかりしなければ得ることはできません。

このように見ていくと、縄文人の漆に対する知識・技術は現在と何一つ変わっていないことに改めて気づかされるのです。これまで遠い昔のことと思っていた縄文時代の文化が、漆を通して身近になってくる気がしました。

高田馬場駅から急行に乗ればわずか30分程度の距離にある、東村山駅です。是非一度、お出かけいただきたいと思います。