光琳のはなし
2008/7/1
先日、日本工芸会東日本支部主催の講演会が行われ、熱海にあるMOA美術館の副館長である内田篤呉先生が「光琳デザイン」という演題でお話をして下さいました。
元禄時代を生きた尾形光琳は、生まれ育った京の呉服商で培われたデザイン感覚に加えて、多くの古典を学ぶことで、絵画・染織・漆工・陶芸と多岐にわたる制作にあたり、後世に多くの作品を残しました。
まずは話の導入に、MOA美術館に所蔵されている光琳の代表作「紅白梅図屏風」について触れ、一昨年行われた屏風についての科学分析結果について解説がありました。
以前NHKの放映でもありましたが、今回の科学調査のポイント—屏風の地は金箔に見えるが、金箔に見える部分を分析すると、金の反応が極端に弱く、金箔と金箔が重なった部分(箔足)は筆で描いた跡に見られるという内容を、拡大写真を写しながら説明していただきました。
また、中央の流水部分(いわゆる「光琳波」)についての話ですが、この技法については、美術史研究者の間で長く論争が続き、特に使用された材料については「銀をいぶして黒く変色させた」、あるいは「顔料(群青)を墨で黒く色づけした」等の説が出て、なかなか結論が出なかったそうです。ところが今回の分析調査では、銀(銀箔)や銅(群青)の鉱物は一切検出されなかったのです。恐らく、染料の藍を使用したのではないか、とのことです。
それにしても、表現技法も流水や梅花などは筆で描いたのではなく、型紙を使用して描いた可能性があるということを含め、屏風には多くの工芸技法を用いて描いているということを聞くと、やはり日本美術は、西洋美術の区分法のように絵画と工芸を分けるのではなく、同じ表現分野として考え、感じる必要があると改めて思います。
今回は内田先生の導入のお話しかここで書くことができませんでしたが、光琳の意匠デザインが後世に与えた影響は強く、あと数年後には没後300年を迎えようとする現代においても学ぶところは大であるな、というのが講演を聴いた感想です。
光琳はそれまで続いた家の財産をすべて無くしてしまいましたが、替わりに日本の美的財産を後世に残し続けています。私達現代に生きる人間に、生きる上での価値観とは何かを考えさせてくれる人物のひとりではないでしょうか。

